砂場ハロウィン

 表向きには今年4月にフリーランス宣言をしているが、去年の今頃は既に社外メインで仕事をしており、フリーモドキ期間を含めると実質1年が経とうとしている事に気付いた。

 

 アニメを描く事は楽しい。しかし、集団制作である以上どこかのポジションには必ず迷惑をかけている心持ちで居て、手放しに楽しめないのも事実。初投稿の記事でも述べたが、わたしにとってのエンタメは気楽で、手抜きの楽ではなく、わたしや周りの人たちが気を楽にして仕事ができる環境を目指したいのだ。

 そういう動機もあり、仕事などで普段関わりのある人を誘ってBBQを企画した。楽器で遊んだり、夏の自由研究と称して軽い実験をしてみたり。日々スケジュールが変動する業界柄を鑑みて集まれて数人かな、と思っていたら思いの外集まっていただけてありがたかった。

 

 好きなラジオやポッドキャストは何を話していたかはっきり覚えるまで繰り返し聴く癖がある。最近はqbラジオを特に聴き込んでおり、時に自分の思考と似たような事を言語化されていて言葉を学ぶ感覚になる。

 言語化の技術を身につける為に配信をしたり、こうしてブログに文字を綴ってみてはいるが、リアルタイムの会話に未だ苦戦する。ただの雑談なんだから気負わずに話せば良いものを、この話題はこの人が苦手かもな、今これ言うタイミングじゃないな、みたいな言葉の択を常に考えている。もちろん気が抜けて考え無しに話してる時もザラにある。

 一貫しているのはウケてほしいという事。一歩間違えればドン引かれる奇行も笑ってほしい。いや実際何度も引かれてきた。お笑いむずかしい。

 

 本当にどんな状況でも楽しんでしまう性格で、何気無い会話でもズレを感じる事があるが、根本的な思考を少し言語化しておきたい。生きている以上ある程度の苦しみから解放される事は無く、むしろ苦しみがあるからこそより幸せを感じられるように、苦しい状態を気持ちいいものに変えたら最強だと思っているのだ。

 ネガティブな話題になったら同じ温度感で返すよりも明るく返す事を心がけている。そもそもわたしが愚痴も負の感情を抱く事もそうそう無いから同調しようにもできないのが正直なところで、そういう話を聞いていると失礼ながら人間臭さを感じて面白いなと思う。

 定期的に自己肯定感について聞かれる事がある。いつも言うのは他人の気持ちなんて分かりようが無いが、自分が思った事は確かな事なんだから、自分が自分を好きでいたらそれだけは確実であるという事。不透明な他人よりも自分を信じれば良い。

 カッコつけた話をしているが、ネタにもできないから言ってないだけでやらかす時はやらかしています。磨けばピカピカになる泥団子が由来のdoro、もう一つはダサくて泥臭いからdoroです。

 

 素直さが取り柄だが、実際のところ自分がどれだけ素直にいても相手に伝わっているのかは分からず、エゴのような気もしている。よく話す人たちからは「doroは常に突き抜けて好きな事に真っ直ぐ生きてる人」だと言われ、大方本質が伝わる生き様を晒せているようで本望である。

 最近いろんなインディーズバンドを観る機会があって思ったが、言葉が素直な人は山ほどいるのだ。もちろんそれはそれで素敵だが、MCでストレートに話してどないすんねん、それを音楽で表現してほしいのに、と思う時がある。

 素直でいる事を大切にしても言葉にするかは別で、言葉で形容できない感情を絵なりアニメなりで形にして、誰かが受け取ってくれた時が一番伝わった感触を得られる。

 

 そんなこんなでフリーになって実質1年の所感、密かな目標だったイラスト仕事と1人原画仕事を達成し、アニメ仕事の延長線上のような新たな仕事もさせていただき、わたしなりの反省と課題は常にあれどおかげさまで楽しい日々を過ごしています。

 スタジオを離れるときに後輩に押し付けた道具たちは今も使ってくれているだろうか。早死にする生き方をしている自覚はあるので、なるべく他人に干渉せず失踪しても気付かれないくらいの存在感の無さを本気でモットーにしていたが、古巣にはわたしの痕跡が確かにあり、わたしの行動に誰かが影響を受けていたり、DJで流した曲を普段も聴くようになったと報告されたり、気付けば誰かのきっかけになる事が増えていた。周りが楽しんでくれているならこれはこれで良いか、と最近は思うようになった。

 

 ノリすぎる記事タイトル。サークル名がどろあそびなのでブログは砂場として扱っている。砂ハロ。ハロウィンは毎年仮装してテーマパークに行くか、お菓子を作ってパーティーするか何かしらしてイベントを楽しんでいる。今年は既にモンブランを作ってお菓子作り欲を満たしてしまったから、あとはハロウィン曲でDJ練習して楽しみたい。