砂場と所感
Uniteというイベントに初めて参加した。
📌場所:
— Unite ユナイト (@u_nite3) 2026年1月20日
〒150-0011 東京都渋谷区東3丁目16−6 リキッドルーム 2F / Time Out cafe
⏰日時:2026年2月11日(水祝)
18:00〜22:00 途中入退場可
すべてのQueer / Allyの方にお越しいただけます🌈
💭お問い合わせ:公式Xまたは公式Instagram(https://t.co/hypU9UGmi1…)までお気軽にどうぞ! pic.twitter.com/H00yuQ9dNq
正直この手のイベントは普段なら避けていたが、参加の動機はシークレットDJ(イベント後、公式が明かしていたから書くとChelmicoのRachelさん)のファンだから。
イベントの趣旨はQueer/Ally交流イベントである。
わたしはラベリングされることがとても苦手で、型にはまらず自由に生きていたいと思う。特定の路線を進むより、自ら道を拓きたいから。それでも他人に自己紹介するには、大まかにでも自分がどういう人なのかを言葉にしないといけない。
Queerとは、どんな性のカテゴリにも当てはまらない人々の総称である。
Allyは、性的マイノリティ当事者のことを理解/支援する人を指す。
これで言うとわたしはQueerです。と伝える事で社会的な文脈が分かりやすくなるのだが、わたしはわたし、doroという生命でいたい気持ちを自分で裏切っているような感覚になる。
こんな拗らせ方をしているものだから、学生時代に1度だけ参加した性的マイノリティのイベントで、みんながわざわざ自分は〇〇だとセクシャルを明かしていくことに違和感を持った。
自らラベリングされにいかないとだめなのか、半ば強制的に社会的に見て分かりやすいポジションについてしまっていないか、と。
もちろん、伝えておけば周りがどう接すればいいかある程度定まるのだろう。形容しがたい概念に名前があることで落ち着く人もいるのだろう。
しかし、自分の居場所ではないな、と続けて参加することは無かった。
Uniteにはどこか違う雰囲気を感じた。何がそう思わせたのかはわからない。Rachelさんがいることも大きかったと思う。
なんとなく、誰でもいていいのかも、と思わせてくれて、実際参加してからも行ってよかったなと思えるイベントだった。
先に書いておくが、わたしは政治活動家になりたいわけでも何かを説きたいわけでもない。ただ、イベントに参加したことで改めて考えたことを残しておこうと思った。
創作を楽しむ人々は、その作品対自分として作品に居場所を感じたりしないだろうか。
本を読むとき、物語にだけは心を開いて素直に感動できるだとか、音楽を聴いて心地良さを感じる場面。ありのままの感情を向けられるのがわたしにとっての創作である。
自分が何かをつくるときも、この作品が誰かにとって心地良いものになればいいなとは常々思っている。しかしそれはあくまで精神的な居場所であり、物理的な居場所を提供できてはいないだろう。
わたしは一人の時間が最も好きだが、大勢が集うクラブも好きである。
クラブはそもそも好きな系統の音楽が同じ者たちが集っているから前提が違うかもしれない。大勢、の内容が異文化の不特定多数に変わった瞬間、居心地の悪さが爆発する。全く違う文化圏との交流は楽しいときもあれど、とても疲弊するものだ。一言でいえばアウェイ。
このアウェイ感を感じさせない居場所づくりが心地良さの本質なんだと気づいたと同時に、どれくらい意図して実現できることなのだろうかとも思った。
自由に生きたいと思うだけじゃ社会は変わってくれないよな、と当たり前ながら気づかされたのがUniteだった。
話を戻す。
同性に好意を抱いて、不思議がられない、特別なリアクションをされないことが普通でありたい。わたしの中では自然なものとして、貫いていれば自然とわたしが確立されるはずだ、と生きてきた。
そうは言いつつも、わたしの生き方がパートナーにも適用できるとは限らない。パートナーの周りに迷惑をかけてしまうかもしれないから、周りには言わないでおこう、と閉鎖的になっていく。
同性同士だとコソコソしなきゃいけない感覚も残っている。学生時代に後ろ指を指されたことも、堂々とできなかった自分が弱いだけではあるが、あんな体験をパートナーにはしてほしくない。誰かが決めたわけではないが、少なくとも全員が堂々といられる世の中ではまだない。
社会が認めてはくれないのだ。
本当はパートナーともそういう話ができれば良かったのだろうが、自分の在り方とパートナーの在り方、社会の準備があまりに足りず、空回りし気を使いすぎた結果、お互いの負担となってしまい別れたことがある。これは社会の問題以前にわたしという人間の未熟さが問題でもあった。わたしの生き方は愛したい人を傷つけてしまう。
わたしなりの配慮で縁を切った元パートナーがこのブログを読んでいるとは思えないが、勘違いさせたくないから書かせてほしい。相手との話は第三者に向けたコンテンツにしたくない。それがわたしなりの誠意。こんなに赤裸々に普段綴るブログでも、私生活でも相手の影を出したことが無い。2人だけの時間として真剣に過ごしていたのだから。結局ブログで明かしてしまっているのは、今回のテーマを語るには避けられない話で、美化せずにありのままを書く必要があると思ったから。
Rachelさん目当てでイベントに来た事が本人に伝わったとき、Rachelさんから「こういうイベント大丈夫?」と気にかけていただいて、軽くわたしの話になり彼女がいたが今は別れて1人で来ていること対し「ごめーん!」「大丈夫!」と明るく笑いあえたことがとても気持ちよかった。別れたことはおろか、付き合っていたことを知る人も少ないから必然的に共有する機会も無かったのだ。自力で立ち直るしかなかったやり場のない感情が、やっと心のどこかに収まってくれた気がした。
実際、このブログを読んでいる人も驚くかもしれない。言ってないから。
とはいえ、doroが好きになるキャラや作品の傾向を知っていると薄々気付かれているのではないか。そういう遠回しに周囲をふるいにかけるようなずるい人間だ。
今までこの話題を避けてきたのは、自然に居たいからわざわざ言うことではない、という気持ちもありつつ、仕事で所謂百合作品に関わるときに、doroが関わっていると知られると作品のノイズになってしまわないかを恐れているから。今は知られていなくても、いずれ分かったときに誰かを裏切ってしまわないだろうか。そんな不安がつきまとう。
恐れ多いが、信じてほしい。原作者や読者と等しくわたしにもいち読者として思い入れがある。アニメーターとしてキャラクターの芝居を考えるとき、人様の作品に乗じて自我を出すつもりは無く、いつだって作品ファーストで、この子ならこう動きそうだ、と原作を尊重し続けている。
自身の立場も考えたうえで、立ち振る舞いにはとても神経質になっているのだが、Rachelさんが時折見せてくれる性的マイノリティだろうがなんだろうが関係無いと言わんばかりの平等な対応がとても安心できるのだ。味方の心強さを感じる。このスタンスをわたしも再現したい。
わたしの生き方は見方によってはサイレントマジョリティと同義になるかもしれない。選挙には必ず行くが、投票以外で政治的意思を誰かに伝えたことは無い。同性同士やあらゆる関係性がフィクションの娯楽として消費されるだけして、現実では叶わないなんて残酷な社会にはしたくないと思いはしても、直接的に動きはしていない。
誰かが実現に向けて行動しているおかげで、少しは生きやすくなるかもしれない未来にタダ乗りはしたくない。だからせめて、主張したくなった。と言えば大袈裟だが、今の所感を書き残しておこうと思った。
世の中を気楽にする勢力に加勢したい。この気持ちはずっと変わらない。
その勢力は今回綴ったことに限らず、わたしに関わるすべてに対して思うこと。
人様の作品で自我を出さないとは言ったが、やはり仕事や創作活動を通して誰かを気楽にできていたらいいな、という思いはある。
仕事仲間に対しても同様で、締切を守れなかったり不備があったり迷惑をかける事は多々あるが……doroの由来である泥団子のように、ぐちゃぐちゃな泥でも磨けばピカピカになる。そんな生き様をこれからも晒していく。
砂場2025
お久しぶり近況報告兼2025年ブログ納め回
アニメーター5歳となる2025年は、5年の歳月を痛感する年でした。
いつか壊れるだろうなと思っていた生活を続け、見事に要介護レベルでご迷惑をおかけしてしまったが、壊れないと分からない事が分かった事は収穫だと思う。
何事も当事者にならないと分からない事があり、それを知るために好奇心がある。好奇心は猫を殺すを体現した年。
お仕事ご一緒している方々には本当にいつもお世話になっております。
ようやく打開の糸口を掴めたような感覚があり、といっても掴んだ糸は長いかもしれませんが、ここからです。
学生や新人の目標を聞いてフレッシュさを感じた事はあるだろうか。そう上手くいかないよだとか、叶うといいねなんて他人事で聞き流してはいないだろうか。
他人の話を聞く中でそう言いたくなる気持ちが分かる瞬間も実際ある。それでも、先人たちが経験、予測しているであろう現実の課題をクリアできたらいい話で、妥協点に落ち着くか、時間がかかっても諦めず理想を叶えるために動き続けられるかではないか。
かつて自分のやりたい事を口にし、大半が難しそうな反応をする中でただ1人の「やってほしい!」の声に救われた。軽いリアクションでも、濁ったソウルジェムを浄化するには十分だった。だから他人の話を聞くときも、なるべく難しそうでも実現するために何ができるか、を考えたいのだ。
たまたまアニメーター志望の方だったり身内から相談される事が何度かあり、自分なりに何かできたら、とそれなりに向き合って対応している。
ただ、5年の歳月を痛感したと先に述べたのは、明らかに5年前と物事を捉える感覚が変わっているからだ。変わったが、芯は変わっていない。思考回路の選択肢が増えたような感覚。
元はポジティブの化身として凹む事が無いような性格だったが、ちゃんとしんどい感覚が分かるようになった。厨二くさい表現になってしまうが、負の感情が豊かになったことで、自分の中でしんどい時の感覚を理解したのだ。
なんやかんや、良い人生を送れているのではないか。しかしこれは誰においてもそうで、それぞれが唯一無二の人生を送っている。きらめきの掠め取り合いをしていこう。
2025年、仕事以外で何をしたか。
春、大阪万博開幕直後に行った。体験したのはモンハン、NTTのPerfume。
全面映像で世界に入り込めて振動も伝わってくるとモンスターの迫力も増す。感想を話すよりみんなに体験してほしい。また機会があるといいな。
Perfume、もといライゾマチームの技術を体験できるNTTは、空間ごと記録して伝送しており、過去のPerfumeのパフォーマンスを追体験できた。生のライブでも振付の振動を体験したことはない。しかし、ここでは確かに3人のヒールの振動がトン、トン、と伝わってくる。新鮮だった。
この時は大好きなPerfumeがコールドスリープすることをまだ知らない。しかし、この空間ごと記録できる技術を体験した今、コールドスリープしてもPerfumeの存在をより実感できる。
夏、徹夜明けに中古の安いアコギを見つけて、傷がついていたのも気に入って買った。DJやDTMは軽くやるが、楽器のプレイヤーになる事は少し抵抗があった。
幼少期の音楽会や文化祭など演奏が必要になる場面では、徹底して音階を読まなくて済む打楽器を選択し続けてきたわたしだ。もちろんギターもまずドレミがわからないところからスタート。
練習曲は羊文学の『光るとき』
好きなバンドであり、好きなアニメの曲であり、敬愛するアニメーターのカットがCDジャケットになっている思い入れのある1曲。
毎日5分10分だけでも弾き続けている。初日と1か月後を置いておく。まだ聴かせられるものではないが、確かな上達が嬉しい。
右上の日数はギター触り始めから記録しており、ソロギターは15日目が初日。
初手けいおん!曲を練習しようとしたら経験者に止められ、実際指が絡まったのでゆっくりギターに慣れていくことにした。
アコギ用と書かれていたから買ったお安いカポが全然アコギ用じゃなく失敗。新たに買うならばタリアカポを買ってやろう、1年弾き続けたご褒美に。と決めたため今はカポ無し曲のみ練習している。
秋、ガチでコスプレをしてみたくて、衣装製作を依頼して作っていただきモンハンのハンターコスをした。
森の撮影スタジオがあり、緋の森イメージでここに。
ハロウィン毎年ふざけた仮装してたので、今年は衣装から作っていただいてモンハンコスしました
— doro (@mud_pie_doro) 2025年10月30日
ワイルズの初期装備かっこよくて着てみたかった pic.twitter.com/lhZEKuSphG
もともとコスプレの趣味があるわけではなく、ハロウィンが近づいてきたらお菓子を作るかハロウィンパーティーに行くか、軽く仮装するかで過ごしてきた中で、1回ガチってみたかった。本来仮装する日であってコスプレ行事ではないが、タイミング的にハロウィンになった。
インスタ(@mud_pie_doro)にはもう数枚写真をアップしており、友人や愛猫協力でアルマやオトモの写真もある。(doroが製作していただいた衣装はハンター装備のみ)
冬、は現在進行形でいろいろ動きすぎているため割愛。
「doroって自分の話しないし他人のこと聞き出さないよね」といろんな人に言われ、たしかに聞かれない限り話さない話題もあれば聞き出すことも無いなと振り返る。
なんとなく、ちょっとした情報で自分の事を知った気になられたくない、ひとりが好きすぎて所在を把握されたくなさから来ていて、他人に対しても同様に自ら話し出さない事は聞かれたくないことかもしれない、と踏み込んだ質問は避けがちだ。
かと思えば初対面でも赤裸々な話をするときもある。最初にそんな話をしてしまえばもう怖いものなしになって大抵のことは話せる。そんな人は片手ほどもいない。
こんなブログを書いておいて?と思うかもしれないが、こんなブログを読んでいるあなたこそわたしに対して少し踏み込んで興味を持ってくれていて、そんな人たちとのコミュニケーションのつもりで書いているのだ。
最近ほぼ日のあらゐけいいちさん回を聴いて、他人に言うとやらない、有言実行ができないという話にとても共感した。作者の影を見せず作品に集中するというのも。
そして誤BANされていたTwitchが無事帰ってきた!
配信頻度は半年に1度くらいですが、よければフォローだけでもよろしくお願いいたします。
Twitchリスナーコミュニティだったdoro鯖もだいぶ自由なサーバーになってきた。
後述のアニメ鯖とは別です。ここはみんなの砂遊び場。ギター練習してるのもここ。
2026年もインターネットの浮上率は変わらないと思う。SNSをやっていないに等しく、Xよりかはインスタのストーリーのほうが更新頻度は高い。24時間で消える気楽さはインターネットのハードルを下げてくれる。
そんなdoroが普段インターネットで何をしているのか。息抜きにニュース速報を見たり、Youtubeで国内外のありとあらゆるニュースチャンネルを片っ端から登録し、超ローカルネタから世界的な時事ネタまでチェックしている。
Youtubeの今年のハイライトの視聴チャンネル数で「平均的な視聴者の14倍の多さです」と言われたが、明らかにニュースチャンネルを登録しすぎているからだと思う。
世界の動き、おもろいですよ。全然知らない土地で確かな人々の営みを感じる。みんなも国内外の全ニュースチャンネル登録しないか。
アニメや映像業界の方が気軽に交流できる場が欲しくてDiscordサーバーも運営しております。自作botで遊び要素があったりいろいろ工夫しております。(上記の遊び鯖とは別の鯖になります。)
もともと作業通話していた面々から始まり、まだまだ少数ではありますが、アニメに限らず実写や3DCG等映像関係で業種が近いお仕事をされている方でしたらどなたでも歓迎します。
なんちゃってセキュリティではありますが一応情報の取り扱い諸々もあるため、誰が誰か分かる状態にさせていただきたく、参加希望の方は身分を証明できる情報(実績やSNSなど)を添えてこちらのgoogleフォームからお問い合わせください。
ROM専でも構いません。フォームに記入いただいた情報はdoroが把握するためだけのもので、他者に共有することはありません。
2026年も健康に生きましょう。今後とも何卒よろしくお願いいたします。
謹賀新年砂場
あけましておめでとうございます。
2025のdoroは修行の年にします。このブログもしばらく更新しないので音沙汰無いのもなとこの場を借りて所信表明。
もともと浮上率がかなり低いdoroですが、告知以外で現れることは無いです。
Twitchアカウントも誤BANされてしまい、異議申し立てをするも解除される見込みが無く、復旧されない限り配信もありません。
リスナーさんからの提案でたまたま直前にDiscordサーバーを作成していたため、誤BANされたときはサーバー内でお知らせする事ができました。本当に音沙汰無く失踪するところだった。
配信できない今、ただリスナーさん達が自由に過ごしてるサーバーになっています。言語交換もしたりグローバルなサーバーです。どなたでもどうぞ。
昨年は仕事関係者の方々には特にお世話になりました。
実は一人旅でヨーロッパにしばらく滞在していましたが、アニメーターとして初心にかえることが目的でもありました。
急に海外にいたり仕事に関わることでも様々な面でご迷惑をおかけしましたが、お気遣い等改めて感謝申し上げます。心機一転して徐々に向上していきたい所存です。
些細なご報告
最初に入ったスタジオを離れてから、本名ではなくフリーランスとしてdoro名義を使用しておりましたが、今後は本名の伍々 葵とdoro両方で活動していきます。
そんな感じで、2025年もよろしくお願いいたします!
砂場の引き出し
記憶を無くしてもう一度楽しみたい作品はあるだろうか。
何事も初体験はかけがえのないもので、その感動をもう一度味わいたいという気持ちも尊いものだと思うが、私は最初のきっかけも意識しつつ、その後に思い出が増えていく事で増す味わい深さを楽しんでいる。
当時は分からなかった言葉の意味が時を経て分かると成長を実感できたり、どこで誰と楽しむかによって人とのつながりや付随する出来事が思い出の味になる時もある。
しかしながら先日、記憶を無くしてもう一度、の実績を実質解除した。
小学生の頃に観た作品が次やりたい事に活きると思い、十数年ぶりに観てみたら大事な展開を忘れていて初見のように号泣したのだ。
当時も泣いた記憶はある。ただ記憶にあったのはぼんやりここであの名曲が流れるんだよな、という程度で、自分にとって曲の印象が強すぎて物語の展開が抜けていたのだ。当時から曲はたまに聴き返し、その後の作品も追っており、決して関心を無くしていたわけではない。
もしみなさまもぼんやりした記憶のままの作品があったら観てみてほしい。
子どもの頃感動したものに大人になっても感動できる作品の色褪せない魅力に救われる。子どもだったからこそ楽しめた作品も、逆もあり、それぞれの良さはあるものの、それでもやっぱり私は色褪せない作品が持つ温もりが好きで、自分が作る時もそうでありたいと再認識した。
子どもの頃の記憶といえば、昔はできたのに今はできないことはあるだろうか。よく聞くのは虫が苦手になったり。私は逆に最近できるようになったことがあるのだ。
記憶の引き出しには、特に楽しかったことや印象深かったことでなるべく埋めて、引き出し奥に落としてわざと拾いにくくしている記憶がある。落とすだけで捨ててはいない。自分の中にはある。
そんな私の引き出し奥に落としっぱなしだった小学生の頃の記憶をひとつ、拾って丁寧に入れ直した話をする。どれだけ自分語りしようが読むのはここに辿り着いた人だけですからね。
当時、急激に流行ったゲームがあった。いつも遊ぶ友達に誘われ、親にねだってPSPとソフトを買ってもらったが、ゲームスキルの無さから右も左も分からず、下手な自分は子ども特有の容赦の無さで誘われなくなった。ここで諦めずに努力する熱があればまた別の未来があったかもしれないが、当時の自分はじゃあもういいやとそのタイトルを起動することは無くなった。
なるべく平和を好むのは昔からで、勝敗で誰かが機嫌を損ねるのも嫌で次第にマルチプレイそのものに手を出すのを辞めた。買ってもらったPSPで1番やり込んだのはけいおんの音ゲーで、もともと家にあったPS2で1番やっていたのは桃鉄だった。(ひとりでCPUとやっていた)
今でこそたまにマルチプレイゲームで遊びもするが、自分のミスでスムーズに進めない時や、そもそも協調性があるかと言われると怪しい部分もあって苦手だ。不満を言われる事が嫌なわけではない。プロレスはかかってこいの精神。単純に自分の下手さに裏で悲しくなる。上手く言語化できない幼少期の嫌な感覚がフラッシュバックする、これがトラウマか。
しかし今の自分ならこのトラウマとも向き合えるかもしれない、とやらなくなった元凶の後続タイトルに手を出してみた。
最初こそ分からないことだらけで手こずりまくったが、だんだんと技も覚えていきちゃんとクリアすることができた。やめ時が分からなくなるくらい楽しむこともできた。難しいクエストに泣いた時もあったが、クリアした時の達成感はすごかった。
少なくとも昔ならまったくストーリーを進行できなかった人間が、全編クリアできてそれなりに楽しいと思えたこの事実は過去の昇華になるのである。
娯楽は無駄と言う人もいるが、こうして過去が糧になっているのを思うとやっぱり無駄なものなんてひとつも無いよなというのが私の所感で、己の手で取りこぼすか拾うかなのだ。
しんどかったら逃げても良いとは言うが、その本質は問題から目を逸らすのではなく、しんどい状況に置かれている自分を自分自身が認め、受け入れてあげる事が希望になるのではないか。
思想が強い感じになってきたが、要は壁にぶつかった時に問題解決をゴールにするのではなく、解決した先でどうしたいかを想像できたら自然と先に進めている感覚があるのだ。そのためには自分自身と向き合う必要がある。
最近、過度のストレスで記憶が欠ける事を初めて経験し、脳のバグってこんな感じなのかと実感した。毎日使う仕事の専門知識が急に出てこなくなり、長年LINEの着せかえで、よく目にしてるはずの好きな動物の名前も思い出せなくなっている事に気付いた時、初めてストレスを抱えている自分を認める事ができた。そうして今は回復している。
自分のストレスを初めて自覚した時、ちょうど精神科医の名越康文さんのイベントがあると知り、普段の自分なら問題は自分で解決しようと誰かに頼る事も少ないのだが、名越さんの事は黛さんとの配信で知っていて良い機会かもなと行ってみた。おそらくゲームさんぽで知っている人が多いのではないだろうか。
イベントは参加者から抽選で人生相談を受けるというもので、具体的な内容は伏せるが、それぞれの悩みに共通して感じたのは生きていたら未来に答えはあるという事。
そりゃそうだろうとも思うが、その為の生きる希望を私たちは時に自分で見つけたり、時に他人から与えられ、ある時は自分が与えているかもしれない。こんなブログでも誰かに届いているように。
過去の記事でも
他人の気持ちなんて分かりようが無いが、自分が思った事は確かな事なんだから、自分が自分を好きでいたらそれだけは確実であるという事。不透明な他人よりも自分を信じれば良い。
と偉そうに書きはしたが、そんな私でも自分自身を自分が認め受けて入れてあげるという感覚はぼんやりしていて、イベントを通してやっとこの意味を自分のものにできた感覚があった。
〇〇だから〇〇であるべきなんて事も、生き方に法則性も無く、自分の人生は自分の選択でどうとでもなる。それが難しい道だったとしても、わかりやすい記号に収まるよりずっと自分らしい生き方ができると思う。困難な状況に陥ったら逃げる事も見ないフリもせず、問題を受け入れて認めた上でその先に進みたい。
まだ綺麗には閉まらない引き出し。いつか拾ったり、これから奥にしまう記憶もあるかもしれないが、絶対にこぼしはしない。
ちょっとくらい不恰好な引き出しのほうが生活感があるものです。
砂場で閑話
なんでもない記事を書いてみたかった。「口下手を矯正したい」を理由に始めたブログ、練習回。
「音楽が好き」とよく言うが、自分はいつからこんなに音楽を楽しむようになったんだろうと記憶を辿ってみた。
『シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ』という海外ドラマをご存知だろうか。わたしの原体験はここかもしれない。初めて買ったCDもハンナモンタナのサントラだった。
小学生の頃観ていたわたしは見事に影響を受け、マイリーとリリーのような関係性に憧れ友人たちと接し、友人が転校してしまう時はパーティを開き、ハンナモンタナのCDを古いプレーヤーで爆音でかけ、部屋を暗くし、光るおもちゃで照らして踊った。ドラマの事は知らないであろう友人が「この曲踊れるね!」とノリノリになってくれたのを覚えている。クラブ好きになった原体験もこれだと思う。
こんなふうに影響を受けやすいものだから、自分が良いと思ったものをなぞっているだけであまり自分の言葉で話している感覚がなく、どこか聞き覚えのある人様の言葉を借りているようで、果たしてどれが自分の言葉なのか分からなくなったりした。
だからこそ音楽や絵は感情がそのまま乗るから素で居られる感じがして好きなのだ。
当時は自分が好きな曲で友人も楽しんでくれたことが自分の一部を受け入れられたように感じたんだと思う。
しかし、それでも言葉で伝えるべき瞬間があるし、どうにか借り物の言葉じゃなく自分の言葉で紡ぎたいと思うとき、口下手を感じる。言った書いた後にこういう解釈もできてしまうなと考えめちゃくちゃ後から補足したくなる。
耳触りの良い言葉を並べる事は簡単でも、それは相手にヒットするパズルを解くようなもので本質的には自分の言葉ではないように感じるが、なぞってきたものを少しでも自分の言葉にできていたらいいなと思う。
というわけで、ブログを始めてもうすぐ1年、更新頻度はかなり低いが「doroさんのブログ好きですよ」と言っていただけたりしてありがたいです。素直さには自信がある。回りくどいことは書かない。
わたしの文章を読んでくださるみなさま、いつも会話してくれる方、ありがとう。
季節感関係なくいまわたしが聴きたい曲を詰め込んだプレイリスト2月号。小っ恥ずかしさはあるが好きなものは好きなものとして共有したい。
https://music.apple.com/jp/playlist/2402/pl.u-Ymb0JY0CjGgjDD?at=10l8JW&ct=hatenablogmusic.apple.com
砂場2023
2023年に公開された仕事の総括
■アニメ
地獄楽#5
二原のみ。少しだけです。
U149#6,7,10,12
#6
急遽ライブパート1カットだけ拾いました。他の方々が強過ぎて力になれていたかは分かりません……。伊礼さんのお仕事が大好きなので伊礼さん回に参加できて良かった。もっと精進します。
3rdライブで『Hotel Moonside』を浴びてからイノタクさんのファンで、ライブパートの新曲『Nightwear』もイノタクさんだと知った時はめちゃくちゃアガりました。
#7
ミュージカルパートの二原少し。
#10
原画から参加してライブパート3カット、二原1カット。
単純にアイマスが好きなのと、作画資料にしようと揃えているアイマスのライブBlu-rayがついに役立つかもしれん!と『ドレミファクトリー!』が披露された公演を見返した。自分なりの愛を込めた。
#12
こちらも急遽ライブパート1カットだけ拾いました。もう少し丁寧に描きたかった悔いも正直あります……。
わたしが小学生の頃、次に遊ぶPSPのソフトを探しに店に行った時「なんかアニメっぽい!」と見つけたのがアイドルマスターSPだった。
小学生がSPのシステムを理解できるはずがなく、ちゃんとハマりはじめたのはモバマスからだったが、ありすたちと同年代だった頃から共に育ってきたアイマスに大人になって仕事で関わる事ができて改めてコンテンツのデカさを実感。ありがとうございました。
私の幸せな結婚#3
二原を少し。
絆のアリル#18,24
レイアウト/原画で参加。並行してた作品の手持ち過多でパンクしかけたりSSD破損で原画ぶっ飛び事件が起きたりしていました。ご迷惑をおかけしました。
カシ・オトハさん誕生日配信『Flip Flap | BIRTHDAY LIVE』アニメーション
初めてdoro1人原画〜仕上げで制作させていただいたアニメ仕事。メッッッチャ楽しかった。誕生日配信も超良かったです。
オトハさんの配信や歌動画を拝見した時に感じた魅力で意気込んで描かせていただきました。
エンパスィーが特に好きです。アコギ弾き語りもよく作業のお供にさせていただいてます。
今の商業アニメだとなかなかできそうにないが、正直こだわるカットは自分でレイアウトから動画までやりたい。なんなら撮影までやりたい。AEを使えはするが、現場の撮影に入った事は無いので機会を伺っています。
レイアウトや完成フィルムを考えるのが好きなので短尺作品のコンテ演出もやってみたい……。
■イラスト
D×Q 広告イラスト
納品して間もなくTwitterがXになった。イラストにSNS誘導として青い鳥を組み込んでいたのに遺影と化した。
RGBデータも渡したがCMYKで出力されだいぶ違う色になっていた事は今後気をつけたい。
◾️漫画
Webtoon 線画協力
ひょんな事からお誘いいただき、商業漫画は完全にやった事が無い分野だったのでやってみました。
来年以降公開の作品もたくさんやってます!お世話になっている皆様、いつもありがとうございます。集団制作の上で人様に迷惑をかけている時は腑甲斐なさに狂いそうになりますが、描いていく上での反省と課題もすべてが楽しいと本気で思います。
これからも不撓不屈の精神で頑張ります。
改めてお世話になりました!
2024年もどうかよろしくお願いいたします!
doro
mudpiedoro@gmail.com
砂場ハロウィン
表向きには今年4月にフリーランス宣言をしているが、去年の今頃は既に社外メインで仕事をしており、フリーモドキ期間を含めると実質1年が経とうとしている事に気付いた。
アニメを描く事は楽しい。しかし、集団制作である以上どこかのポジションには必ず迷惑をかけている心持ちで居て、手放しに楽しめないのも事実。初投稿の記事でも述べたが、わたしにとってのエンタメは気楽で、手抜きの楽ではなく、わたしや周りの人たちが気を楽にして仕事ができる環境を目指したいのだ。
そういう動機もあり、仕事などで普段関わりのある人を誘ってBBQを企画した。楽器で遊んだり、夏の自由研究と称して軽い実験をしてみたり。日々スケジュールが変動する業界柄を鑑みて集まれて数人かな、と思っていたら思いの外集まっていただけてありがたかった。
好きなラジオやポッドキャストは何を話していたかはっきり覚えるまで繰り返し聴く癖がある。最近はqbラジオを特に聴き込んでおり、時に自分の思考と似たような事を言語化されていて言葉を学ぶ感覚になる。
言語化の技術を身につける為に配信をしたり、こうしてブログに文字を綴ってみてはいるが、リアルタイムの会話に未だ苦戦する。ただの雑談なんだから気負わずに話せば良いものを、この話題はこの人が苦手かもな、今これ言うタイミングじゃないな、みたいな言葉の択を常に考えている。もちろん気が抜けて考え無しに話してる時もザラにある。
一貫しているのはウケてほしいという事。一歩間違えればドン引かれる奇行も笑ってほしい。いや実際何度も引かれてきた。お笑いむずかしい。
本当にどんな状況でも楽しんでしまう性格で、何気無い会話でもズレを感じる事があるが、根本的な思考を少し言語化しておきたい。生きている以上ある程度の苦しみから解放される事は無く、むしろ苦しみがあるからこそより幸せを感じられるように、苦しい状態を気持ちいいものに変えたら最強だと思っているのだ。
ネガティブな話題になったら同じ温度感で返すよりも明るく返す事を心がけている。そもそもわたしが愚痴も負の感情を抱く事もそうそう無いから同調しようにもできないのが正直なところで、そういう話を聞いていると失礼ながら人間臭さを感じて面白いなと思う。
定期的に自己肯定感について聞かれる事がある。いつも言うのは他人の気持ちなんて分かりようが無いが、自分が思った事は確かな事なんだから、自分が自分を好きでいたらそれだけは確実であるという事。不透明な他人よりも自分を信じれば良い。
カッコつけた話をしているが、ネタにもできないから言ってないだけでやらかす時はやらかしています。磨けばピカピカになる泥団子が由来のdoro、もう一つはダサくて泥臭いからdoroです。
素直さが取り柄だが、実際のところ自分がどれだけ素直にいても相手に伝わっているのかは分からず、エゴのような気もしている。よく話す人たちからは「doroは常に突き抜けて好きな事に真っ直ぐ生きてる人」だと言われ、大方本質が伝わる生き様を晒せているようで本望である。
最近いろんなインディーズバンドを観る機会があって思ったが、言葉が素直な人は山ほどいるのだ。もちろんそれはそれで素敵だが、MCでストレートに話してどないすんねん、それを音楽で表現してほしいのに、と思う時がある。
素直でいる事を大切にしても言葉にするかは別で、言葉で形容できない感情を絵なりアニメなりで形にして、誰かが受け取ってくれた時が一番伝わった感触を得られる。
そんなこんなでフリーになって実質1年の所感、密かな目標だったイラスト仕事と1人原画仕事を達成し、アニメ仕事の延長線上のような新たな仕事もさせていただき、わたしなりの反省と課題は常にあれどおかげさまで楽しい日々を過ごしています。
スタジオを離れるときに後輩に押し付けた道具たちは今も使ってくれているだろうか。早死にする生き方をしている自覚はあるので、なるべく他人に干渉せず失踪しても気付かれないくらいの存在感の無さを本気でモットーにしていたが、古巣にはわたしの痕跡が確かにあり、わたしの行動に誰かが影響を受けていたり、DJで流した曲を普段も聴くようになったと報告されたり、気付けば誰かのきっかけになる事が増えていた。周りが楽しんでくれているならこれはこれで良いか、と最近は思うようになった。
ノリすぎる記事タイトル。サークル名がどろあそびなのでブログは砂場として扱っている。砂ハロ。ハロウィンは毎年仮装してテーマパークに行くか、お菓子を作ってパーティーするか何かしらしてイベントを楽しんでいる。今年は既にモンブランを作ってお菓子作り欲を満たしてしまったから、あとはハロウィン曲でDJ練習して楽しみたい。